大学院の研究法の授業で、研究テーマの決め方についてやっています。卒論、修論で一番むずかしく、うまくいかないのはここ。今年度は覚悟を決めて、時間をかけ、丁寧にやっています。ポイントはオリジナリティ。
研究にはオリジナリティが不可欠。オリジナリティとは、学問研究の世界において、あるいは社会において、一般的にこうだと言われていることとちがうことをさがすこと。別の言い方で言えば、研究とはイノヴェーション。そして、研究者の仕事はあたりまえを変更することによって社会を変えていくこと。
「いままでAと言われているけど、私が研究したところやっぱりAでした」ではオリジナリティにならない。「いままでAと言われているけど、私が研究したところ実はBでした」「いままでAと言われていて、私が研究したところだいたいAなのですが、ここに限ってはBでした」と言えるとオリジナリティ。
「まだ誰もやっていないからオリジナリティ」は要注意。この世界はまだ研究されていないことの方が圧倒的に多い。なぜ誰も研究しないかといったら、それをやる意味や価値がないから。
研究する意味や価値があるテーマはだいたい誰かがすでにやっている。研究する意味や価値があって誰もやっていないテーマを見つけたら超ラッキーだけど、そういうことはまずほとんどない。
オリジナリティのある研究テーマのさがし方はいろいろあると思いますが、自分をふりかえると、私は以下の4つの考え方をよく使っていると思います。クリティカルシンキングと言われるものに近いかもしれません。私は職業柄、毎日24時間この見方で世界を見ています。性格は良くないと思います(笑)。
1つ目は「逆」。「演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高める」はあたりまえで研究テーマにならない。「演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高めない」という逆が言えたらオリジナリティ!あるいは「コミュニケーション能力が高いから演劇ワークショップに来ている」も逆。
実際には真逆を言えることは少ないけれども、「ある種の演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高めない」だったら言えるかもしれない。そうするとこれまであたりまえだと言われていたことに一部制限をかけることができる。こうして議論が精緻になり、深まっていきます。
また、「演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高めない」という仮説を完全に否定することができれば、逆に「演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高める」と言えます。(こういう仮説を帰無仮説と言います。)
2つ目は「他の説明要因」。「ワークショップがまちづくりに効果的なのは協同でワークをやるから」はあたりまえ。「ワークショップがまちづくりに効果的なのは、そのあとの打ち上げで人間関係ができるから」だったらオリジナリティ。一見関係なさそうなものが実は理由なのではないかとさぐってみる。
3つ目は「他の言葉に置き換える」。抽象的な専門用語を使うとかっこいいし説明できた気になるけど、実はそこで思考停止している。「演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高める」なら、ワークショップを他の言葉で置き換えると、コミュニケーション能力を他の言葉に置き換えると、と考える。
たとえば「演劇のレッスンはコミュニケーション能力を高める」「鬼のような演劇指導はコミュニケーション能力を高める」「集まってだらだらおしゃべりすることはコミュニケーション能力を高める」「演劇ワークショップはしゃべりすぎる人をだまらせる」「演劇ワークショップは作文能力を高める」など。
4つ目は「メタ」。「演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高める」ならば、「なぜ人は、演劇ワークショップはコミュニケーション能力を高めると考えたがるのか」「なぜ、演劇ワークショップとコミュニケーション能力は結びつけられがちなのか」と一段、次元を変えて考えてみる。
「逆」「他の説明要因」「他の言葉に置き換える」「メタ」を使って、ゲーム的にたくさん問いを考えて書き出してみる。そこから、すぐに答えが出ない、こうだとはっきり言い切れない五分五分の問いを見つける。五分五分にはオリジナリティが潜んでいる可能性が高い。そしてその五分五分をさらに深める。
オリジナリティある研究テーマをさがす際に安易で危険な考え方がいくつかある。1つ目は「AをBの理論で説明します」。ある理論を使って説明することで、いままで一般に言われていることとちがうことが言えたら、はじめて意味がある。「Aの理論で説明したら、やっぱりBでした」では意味がない。
研究テーマをさがす際の安易で危険な考え方の2つ目は「AとBを比較します」。「共通点をあきらかにします」「相違点をあきらかにします」はさらに良くない。だいたい2つのものを比べたら同じところとちがうところがあるもの。その発見にはほとんど意味がない。
比較は研究法の中でもっとも高度なもののひとつ。比較はこれまでに言われている説明要因とはちがう説明要因をあぶりだすための方法。なのでこれが説明要因だとある程度見えていないと、上手に比較をセットできない。複数の言語の能力が必要になることも多い。とりあえず比較はほとんど意味がない。
研究テーマをさがす際の安易で危険な考え方の3つ目は「自分の好きなこと、自分のかかわっていることを研究しよう」というもの。これも至難の業。なぜなら自分の中で「それはいい」「それには意味がある」と言いたいと答えが決まってしまっているから。
でも、研究はあたりまえに言われているAではなく、Bだという必要がある。そのときにはこれまでの自分の考えを全部捨てなければならなくなるかもしれない。その勇気がありますか?
特に社会人の方が大学院に来る場合、これまでの仕事をまとめるという名目で、自分がやってきたことを対象に、すでに自分の中で出ている答えを論文で書こうとする。そして、その答えを補強してくれる理論をさがしてくる。でも大学院で自分の中の答えが変わらないなら、来る意味はないかもしれません。
ちがう答えを見つけたときには、同時に新しく自分をつくりかえることができます。デューイの影響ですが、私は、学ぶことは本来、研究すること、探究すること近い概念だと思います。そして、学ぶことは変わることだと思っています。ぜひ大学、大学院で研究することで、変化する自分を楽しんでください!
(2015/11/15)