吹奏楽コンクールの雑感を書いてみます。おもに指揮についてのことになります。
私がノーステキサス大学吹奏楽研究室の客員研究員だったとき、コーポロン先生、フィッシャー先生から何度も教わったのは、プロの演奏家は指揮者がどんなふうに振っても演奏できるけれど、子どもたちに指揮するときには、きれいにわかりやすく振れないと子どもたちはうまく演奏できないということです。
もしプロの演奏者のための指揮者になるのでなく、子ども・アマチュアの演奏者の指揮者になるのならば、なおさら指揮法を、もっと言えば、指揮の際の身体の使い方をしっかり勉強しなければいけないというのが私の考え方です。
コーポロン先生は「指揮者の仕事は演奏者の仕事を楽にすることだ」と言います。そして、「指揮者は最低限、演奏者の仕事のじゃまをしてはいけない」とも言います。
指揮者が生徒たちの演奏をもっと助けてあげられるかもと感じる瞬間が何度もありました。特に演奏がはじまる前にそれを感じることが多かったです。
指揮者が棒を上げて構えてから、振り下ろして音が出るまでの間が数秒ととても長い場合がいくつかありました。これだと演奏者にとってはたいへんです。アンブシュアを整え、息を吸える状態にして、何秒も持続するのはむずかしいからです。冒頭の音のイメージをつくって持続するのもむずかしいです。
棒を上げてから指揮者が演奏者全員を見渡している場合もありました。指揮台にあがってまず演奏者全員を見渡し、それから棒を上げて構え、すぐに出る方がやりやすいように思います。
演奏者は、指揮者が構えたらすぐに一緒に構えられるように、自分にとってやりやすい方法で準備をしておくといいように思います。さっと構えやすい準備は楽器ごと、個人ごとにちがうと思うので、全員の形がそろっている必要はないとに思います。
チューバは、床に置いてあるのを指揮者が棒を上げてから持ち上げて構えるのだと時間がかかります。指揮者が指揮台に上がったら、チューバを持ち上げて、スタンドに乗せるなら乗せて、すぐに構えられるようにしておく方が楽だと思います。
指揮棒が上がると同時に一斉にスチャッと構えるかどうかは、マーチングではないので、私は気にしません。ベルの高さが合っているかも気にしません。逆に個人個人背の高さや適切なアンブシュアもちがうのに、無理してベルの高さを合わせようとして苦しそうだなと思うことはありました。
曲中にベルアップを使っているところがいくつかありました。ベルアップのタイミングや高さがそろっているかなど、マーチングではないので私は気にしません。逆に無理してベルを上げて、しかもベルの高さをそろえようとして、かえっていい音が出なくなったり、音量が下がってしまう場合すらありました。
ベルアップはうまく使うと効果的な場合もあります。ただ、タンギングを固めにしたり、鋭い息を使って音色を固くしたりして、一部分、特殊効果的に、全体の音に溶け合わず浮かび上がるようにする方が、ベルアップで得ようとしているような音楽効果がもっと得られるかもしれません。
あとは金管楽器は譜面台を利用して、譜面台にぶつけて音をやわらかくしたり、譜面台を外して音をはっきり届かせたりする手もあるかもしれません。ただ、そこまで無理して変になるぐらいなら、基本的な奏法でしっかり演奏する方がいい音楽になるかもしれませんが。
演奏後に全員一斉にスチャッと立ち上がるかどうかも私は気にしません。逆にあまりに音楽の余韻を壊すような素早すぎる立ち上がり方、曲の終わりの音楽イメージと異なる立ち上がり方だと悪い意味で気になってしまいます。
最初の指揮者の構えですが、肘が高すぎてバンザイになっている場合もありました。そのバンザイの位置から一度下に下げてから振りはじめるので見にくくなってしまいます。握手をするために手を差し出す高さぐらい、あるいはピアノを弾く前の手の高さぐらいで構えるのが自然で見やすいと思います。
冒頭の予備拍を1234と一小節振るのも見られました。予備拍は1つ、速い曲でも2つが出やすいし、曲の冒頭のイメージを印象的にできると思います。最初は不安かもですが、合奏でそうしていればすぐに慣れます。4拍目から出る曲でも、予備拍を123と振るのでなく、3だけ振ればいいと思います。
指揮の図形が大きすぎる場合もありました。手首が固まってしまい、肘から振ってしまうとどうしても図形が大きくなってしまいます。図形が大きくなると拍間の時間が微妙に長くなったり短くなったりしてビートが安定しません。最近の吹奏楽曲に多い、テンポの速い部分、変拍子の部分ならなおさらです。
図形の形はコンパクトにした方が、動きをコントロールしやすくなりますし、演奏者に見やすくなります。基本は高低は肘の高さからあごの高さ、左右は肩幅ぐらいで収まっているのがいいと思います。(曲中に1,2回、特殊効果的にその幅を超えるのはありだと思いますが。)
指揮者は動きを過剰に大きくしなくても、演奏者に音楽イメージを伝えられます。逆に動きを大きくしたからといって、演奏者により音楽イメージを伝えられるわけではありません。コンパクトでも、心と連動した動きならば、迫力のあるフォルテッシモでも出せます。(逆に出しやすいかもしれません。)
指揮するときに肘が内側に入りすぎている場合もありました。こうすると4拍子の2拍目、3拍子の2拍目など、指揮者の前で両手がクロスして見にくくなってしまいます。コーポロン先生は指揮者の構えは演奏者をハグする形と言いますが、それぐらい両肘が自然に開いていた方がいいように思います。
音楽家に身体表現を教えていた演劇教師のバイヤー先生は、指揮者が表現するのに一番大事なのは胸(デコルテ)だと言っていました。手が内側に入らないようにし、胸と顔をコミュニケーションチャンネルとして演奏者につねに開放しておく方が、表現に関わる微細なコミュニケーションが取りやすいです。
マーチなど2拍子をJの形で振ると、図形が大きくなりやすいですし、1拍目と2拍目の距離がちがうためにビートが微妙にずれますし、ビートポイントも見えにくいです。特に音楽が流れはじめたら手首のスナップ中心に縦に軽く振る方が演奏しやすくなると思います。バスケットのドリブルのイメージです。
曲の終わりで指揮者がぐるっとサークルするのも、どこで終わればいいのかわかりにくいように思います。曲の頭を予備拍でポンと入るように、曲の終わりも予備拍でポンと切った方が、リリースポイントがわかりやすいと思います。
2拍ごとまとめ振り、1小節ごとまとめ振りする場合も見られました。たしかに細かくガチャガチャ振るのも見にくいので、まとめて振る部分があってもいいと思います。ただ、速い音楽をまとめて大きく振りすぎると、かならず存在している速い動きを担当している人たちが拍が取れなくて苦しくなります。
テンポが速い部分は、本番はやはり速い動きの演奏者たちがきれいにそろえる方がたいへんなので、そっちをサポートしてあげたいです。メロディーのフレージングや表現などはリハーサルでしっかりやっておき、本番は速い動きの人のために小さく拍に正確に振ってあげる方が助けになるかもしれません。
吹奏楽の生演奏は演奏者、指揮者、観衆の間の即興のコミュニケーションだと思います。この即興コミュニケーションが吹奏楽の醍醐味のひとつだと思います。
指揮のあり方も、究極的には演奏者とのコミュニケーションがうまく取れていて、その結果、舞台上で望む音楽を演奏できているのであれば、それが正解だと思います。学校では、指揮する先生と演奏する生徒のみなさんが長い時間をかけて、独特のコミュニケーションを醸成されていると思います。
なので、それを大事にしながら、さらにいろいろと学び、いろいろと試し、自分たちのコミュニケーションのよりよい形を探究してくだされば、それが一番すばらしいことだと思います。生徒のみなさんが音楽というコミュニケーションのおもしろさと喜びを味わってくださったら私はとてもうれしいです!
(2019/8/3)