今回はいきなり大きなテーマから入ります。インプロに正しいインプロと間違ったインプロはあるのでしょうか?もしあるとするならば、それはどのようにして決まるのでしょうか?
カリフォルニアでのキースのワークショップでの、夕食時のことです。私が日本の舞台では上手と下手があってそれがステータスを表すことがあるという話をしました。ある人がイギリスにもそういうのがあるらしいと言い、それならキースに聞いてみようとなりました。するとキースはこう言いました。「確かにイギリスの伝統的な舞台理論にそういうものがある。そこで、自分でやってみたけど、自分はそうは思わなかった。だからその理論は現代では意味がないと思う。」そして続けてこう言いました。
「大学には2種類の人間がいる。知識を守ろうとする多くの教授達と、知識を壊そうとする少数の教授達だ。前者は宗教であり、後者は科学である。たとえこれが正しいと伝統的に言われていたとしても、もしうまくいかないのなら何かを変えるべきなのだ。」また、キースは「自分が提案したことが嫌だったら言ってほしい。すぐに別の提案をするから。」とも言います。
大御所のキースがいいと言うから正しいインプロなのではない。そこにいる人達がいいと思え、いい時間を過ごせるから正しいインプロなのである、ということなんだと思います。そしてキースのすごさは、場を共にする人達に合わせて自分のインプロを壊し、作り替えながら、50年近く「正しいインプロ」を生み出し続けていることなんだと思います。
(2007/7/5)