即興哲学第16回 ショーの構造

これから数回は、インプロのショーについて書きたいと思います。最初に、インプロのショーの構造について書きたいと思います。

昨年、私がBATSでキース・ジョンストンがディレクターのMicetroというショーに出たときの話です。キースは、本番前に、やさしい英語で私にこう言いました。「英語がわからなくてもいい。どんなに失敗してもいい。でもシーンが終わった後には、どんなに出来が悪かったとしてもHappyでいること。そうすれば、お客さんはあなたをペットとして連れて帰りたくなる。」

インプロのショーを観るとき、お客さんは二つのものを見ています。一つはシーン、もう一つはシーンをつくることにチャレンジしている即興役者です。インプロのショーは、ショーという劇の中に、シーンが劇中劇として入っているという構図になっています。そして、以前に即興哲学で触れたLow Status Trick Presentationのように、シーンの中身がどうかということよりも、シーンの前後で即興役者がどういう状態でいるかということが重要になっています。ショーの良し悪しは、シーンの良し悪しより、むしろ即興役者がリスクに飛び込んでいるか、たとえ失敗したとしてもポジティブであるかどうかにかかっています。

そして、いいシーンができたときは‥‥、お客さんは、それが即興役者が即興でつくっている劇中劇だということを忘れて、シーンの世界の中へと入っていくのです。

(2002/5/22)