即興哲学第56回 嫌なことに嫌と言う

昨年、カナダでKeithのワークショップを受けている時でした。私ともう一人の二人で兄弟のシーンをやる時、Keithが最初に楽な姿勢で座るように言いました。私は楽な姿勢で床に座りました。ところが、Keithは私に尋ねました。「本当に楽な姿勢で座ってる?」なぜなら、自分の体重を支えるために私の手に力が入っているからでした。私は言われて初めてそのことに気が付きました。そして、自分で自分がつらい姿勢でいるということに気が付いていないんだとショックを受けました。

日常生活の中では、嫌なことや苦しいことに遭遇しても、「嫌」とか「苦しい」とか言わないで、がんばることが美徳とされています。私は、小学生くらいからは従順な子でした。なので、このことがからだに染み込んで、嫌だったり、苦しかったりしても、それを感じなくなるくらいになっていたかもしれません。

でも、自分ではこんな自分を変えたいと思いました。嫌なことは嫌と感じたい。嫌なことに遭遇した時、その状態のままでがまんして何も言わないのではなく、嫌と言ったり、嫌な状況を改善したりできるようになりたい。そう、思いました。以前読んだ竹内敏晴さんの本に、ルソーは自由を「したいことをすること」とは定義せず、「したくないことをしなくてもいいこと」と定義したというのがあった記憶があります。「嫌」ということや「やりたくない」と言うことは、自由へと向かう第一歩なのかなと思ったりします。

(2004/6/9)